フランスにおける今日の建築教育
L'enseignement de l'architecture en France
山名善之 Yoshiyuki YAMANA
建築学校の現在
現在建築学校は、パリ市内にはベルヴィル、ラ・ヴィレット、マラケ、ヴァル・ド・セーヌの4校、郊外にヴェルサイユ、マルヌ・ラ・ヴァレの2校、そして地方に14校、フランスに計20校の文化省管轄の建築学校がある。(その他に私立のESA、ストラスブールのENSAISなどがある。)
パリを中心として'95年以降、建築学校の統廃合が進んだ。パリ第8大学都市計画学科やIFUと連携をとりながら建築から都市への拡がりを掲げマルヌ・ラ・ヴァレ建築学校が新設された一方、パリ・トルビアック建築学校が廃止された。パリのヴィルマン、ラ・セーヌ、シャロントン・ル・ポン、ラ・デファンス建築学校などが昨年廃止統合され、マラケ建築学校、ヴァル・ド・セーヌ建築学校となった。結果
として、学校数が縮小されたことになるが、今後も統廃合は続き将来的にパリ市内には、新設されたマラケ建築学校、ヴァル・ド・セーヌ建築学校、そしてベルヴィル建築学校の3校のみがパリに残るという噂もある。
1999-2000年の文化省建築学校統計によると、現在17485人が建築学校学生として在籍しており、そのうち43.3%がパリ及び近郊に集中している。規模最大のパリ・ラ・ヴィレット建築学校(2244人)を筆頭に、パリ・ベルヴィル建築学校(1243人)、グルノーブル建築学校(964人)、、、そして規模の一番小さいサン・エティエンヌ建築学校(332人)と学校により規模も様々である。建築学校の女性の比率も43.5%というように、建築の分野においてもフランスの女性進出は目覚しいものがある。また全学生のうち10%程度が外国人学生である。外国人学生のうち1/3の学生が東欧を含めたヨーロッパ諸国、そして1/4がマグレブ諸国、1/5がアジア諸国の出身者で、マグレブ以外のアフリカ諸国出身者は1割程度である。最近、ロシアなどを含めた東欧諸国からの留学生が増加し始めてきている。外国人学生はパリと近郊においては1035人が在籍しており、全体の14%を占めているのに対し、地方は6.9%と低い。また学校別
にはパリ・ラ・ヴィレット建築学校が外国人学生数414人ともっとも多く、次にパリ・ベルヴィル建築学校が138人と続く。これら入学許可を受けた学生以外にヨーロッパ内交換留学生や外国人研究生、聴講生などもパリには多く、私の在籍したパリ・ベルヴィル建築学校も国際的な雰囲気にあふれていた。
パリ・ベルヴィル建築学校
私が在籍したパリ・ベルヴィル建築学校について紹介させていただく。パリ・ベルヴィル建築学校はB・ユエットを中心としたアメリカ・ペンシルヴァニア大学のルイス・カーンのスタジオの出身者やエコール・デ・ボザールのアトリエ・アレッチの出身者によって設立されたUP8がその前身である、。既にふれたように、ペンシルヴァニア大学などのアメリカの大学をモデルに教育プログラムが組上げられていったこともあり、パリ・ラ・ヴィレット建築学校などと違いスタジオ設計演習中心の授業が組まれている。また同時に建築史の授業が充実していることでも知られている。建築設計の授業ごとにスタジオ制になっており、建築学校のなかに、スタジオごとの小さな建築学校が共存しているような感じである。H・シリアニ、E・ジラール、L・サロモンなどのUNOグループのスタジオの他に、グルゴーネンやル・ロワなどのB・ユエットの流れをくむスタジオなどがある。また建築家パトリック・ベルジェやミッシェル・カガン、ファロッチなど多くの国際的にも活躍する建築家が教鞭を執っている。また都市プロジェクトの課題においてはグランバックの他、ブルーノ・フォルティエなども教えている。校舎も製図室であるスタジオを中心に作られており、大学システムの教室制をとっているパリ・ラ・ヴィレット建築学校と較べると昔のエコール・デ・ボザールに近いのかもしれない。昨年の改正以降、大学院レベルの研究組織もさらに充実し始めている。研究レベルにおいては社会学者モニック・エレ−ブや建築史家ジャン・ルイ・コーエンなども教鞭を執っている。この他に研究機関IPRAUSなどが建築学校に所属している。
ナント建築学校
ナントはフランスのなかでも建築的文化の意識がたかい街のひとつとして知られる。ここの建築学校で'99年の9月より非常勤講師として4年生の設計の授業とクリティークの授業を受け持っている。設計の授業を建築家のほか社会学者やファイン・アートの教員と共に、3学期制の通
年課題で行っている。1学期に対象となる地域、街を分析させ、学期最後にそこから各学生ごとに問題提起をさせる。2学期はその問題提起からアーバン・プロジェクトを作り上げ、3学期はそこに建築的スケールのプロジェクトを作り上げることを求めている。日本の建築教育において一般
的な、与えられたプログラムと敷地に設計課題を行うものとはかなり違うが、通
年課題である為、持続力が求められる設計課題でもある。
またナントは日本文化に対し関心の高い街のひとつで、今までにも多くの日本人建築家による講演が建築学校において催され、また建築学校により数度、日本への建築見学旅行などが企画されたり、日本の大学と短期間の交流プログラムのスタジオが組まれてきた。
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'95年秋より、パリ・ベルヴィル建築学校DPLG課程へ留学し、その後ナント建築学校で建築教育に携わってきたが、ちょうど幸か不幸か、建築教育制度の見直しの時期にぶつかった。建築学校のストライキが何度かあり、また制度が変わるなかで教育カリュキュラムが毎年のように変更されていった。建築教育に関するシンポジウムに何度か参加し、「建築家」を育て上げることを目的に行われてきたエコール・デ・ボザール以来の建築教育が、建築を取巻く社会環境の変化、複雑化、細分化のなかで、建築学校の制度も変わらざる得なくなってきていたことを感じた。またそのような状況の中で大学院レベルの研究機関の充実と大学などの研究機関との連携の必要性が求められ、具体化していった。建築学校に身を置くと共に、パリ大学パンテオン・ソルボンヌ校博士課程において学位
論文執筆のための研究を続けていたこともあって、建築学校が大学などの研究機関と連携を取り始める様子を大学側からと建築学校側から理解することもできた。
現在、新制度発足後1年が経過しようとしている。新しい制度のもとでの建築教育の実践の場において、すでにいくつか問題になり始めているという噂も耳にする。新制度が発足したものの、私が経験した'95年以降の建築教育の見直しは、'68年以降絶えずそうであった様に、今後も試行錯誤を繰り返していくようにも思われる。その様な中、新制度にあわせるかのように、各建築学校の新築のプロジェクトも動き始めている。新たな建築学校の校舎の建設の具体化のなかから、フランスの建築学校の方向性を見出すことが出来るのかもしれない。今後また機会があれば報告させていただきたい。
→Ecole d'architecture
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