建築を延命させる 関西日仏学館のリノベーションと近代建築の保存
Renovation de l'Institut
franco-japonais du Kansai et la conservation du patrimoine moderne
三宅理一 慶應義塾大学教授
Riichi MIYAKE
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さて、そうした日仏交流の現場となってきた京都の関西日仏学館【図3】の建築がこのたび新たにリノベーションされるとことが決まった。1937年にレイモンド・マストラル設計のもとで建設され、地上3階建ての鉄筋コンクリート・ラーメン構造の建造物である。京都の文教地区に位
置し、緑と広い前庭に恵まれオーギュスト・ペレー的なやや古典的なプロポーションを有していることで、むしろ古風な町並みに溶け込んでいた。フランス語やフランス文化を教え、また日仏のさまざまな交流事業を行う機関として長い歴史を有し、さらにパリと姉妹都市関係を保つ京都にとって欠かすことのできない国際施設であった。
今回、この施設のリノベーションが図られることになったのは、60年、70年と時代を経たこの学院を現代という時代にあわせて空間から内部のプログラム、さらには情報対応までのすべてを再構築する時期に入ったとの判断からで、必ずしもその物理的老朽化が第一の理由ではない。実際、この建築は当初から空間的には結構ゆとりをもって設計されていて、リノベーションにあたっても十分なフレキシビリティを保っている。しかし、問題は設備と情報機器への対応である。建築の寿命は鉄筋コンクリートでも質の良いものであれば100年から200年はもつとされる。しかし、水回りや空調関係は時代によってシステムがどんどん変り、また配管関係の傷みも激しいので、一般
にその寿命は20年程度とされる。古い建築ゆえ、設備は建築に付随する程度しか配慮されていなかったが、今日の需要にあわせてそのアップデートを一気にはかる。
今日の教育機関においてきわめて大きな役割を果たすのは、情報システムである。IT対応、ネットワーク、高容量
のデータベース、双方向の画像情報といった要求は、かつての施設には存在せず、1990年代に入って突如として浮かび上がってきた。図書館もより紙媒体だけではなく、多様なメディアに対応するということでメディアテックと位
置付けられ、また人と情報、空間がフレンドリーな関係となるようなデザインが必要である。レクチャーやラウンドテーブル、展示などが気軽に行えるような場の設定も重要である。国際関係といっても一昔前のような敷居の高い関係ではなく、インターネット時代に即応した誰もが自由に参画できる仕組みがつくられねばならない。このような要求がまとめられ、新たな設計プログラムが提示されるに到った。
このデザインを求めるため、2001年秋から2002年春にかけて指名設計競技が実施された。指名の対象となったのは、フランスでの建築教育を受けた5名(チーム)である。フランス外務省の海外事業であるため、特にフランスの建築家資格がその必要条件とされた。東京からはマニュエル・タルディッツ、赤堀忍+ミシェル・デュペリエ、アルベール・アビュット、フランスからはモンペリエ在住のエロディー・ヌリガ、リシャール・ブリアが加わった。京都にて設計者への説明が行われ、現地の条件を詳しくスタディした後、各人が設計プロセスに入る。躯体構造つまり鉄筋コンクリートの柱梁と外壁は残し、他は自由にいじってかまわない。しかし、耐震上の理由から壁面
量を大幅に減ずることはできない。その結果、既存のレクチャー・ホールや図書室の位
置はそのまま保ち、また3階の館長室やゲストルームも場所を変えずにプランニングが施される。設備のアップデートとIT対応は必須であり、そのため特に設備と構造エンジニアがチームに加わって細かい詰めを行った。空間的に、広い玄関ホールと階段回り、レクチャー・ホールや2層の図書室、カフェテリア、レセプション・サロンなどが特に強調されることとなる。設計者によって内容はさまざまであったが、基本的にシステム設計と空間の双方がチェックされ、さらに限られた予算の中で実施可能であるかが次の論点となった。むろん、日仏学館としての品格と心地よさが議論されたのはいうまでもない。
このリノベーションの事業者はフランス外務省であり、そのため建築コンペの組織は東京のフランス大使館が中心となって行われた。最終結果
はこの4月に発表され、東京在住の赤堀忍+ミシェル・デュペリエ・チームと決まった。条件的にはきわめて厳しく、設計者にとって案の作成がはなはだ困難であったことは想像に難くないが、構造と設備を一貫させたシステムが高い評価を呼んだ。外観はいじらず、古く落ちついた外観に土地の記憶を委ね、斬新な内部空間に新しい機能を付与する対比的な手法も好感をもって受け入れられた。選定後、すぐに実施設計に取りかかり、2002年度中の完成をめざして現在作業が進められている。
このコンペは、一見地味なコンペであるが、その示唆する内容は決して小さくない。先にも述べたように日仏の交流の証である場所を、その記憶を保ちつつ今日の情報化時代にふさわしい施設に造り替え、京都とフランスの双方にプラスとなる文化的貢献を行う。20世紀という時代の近代建築遺産に現代のユースウエアを施し、その機能的な寿命を延ばす。新築の建築に対する投資を避け、その半分の予算で効果
的な空間を獲得する。ビジネス・オリエンテッドな都市開発とは異なった枠組みで文化の場所を維持する。このような意味付けが可能になってくる。
この建築のリノベーションにあわせて、2003年5月末には京都にて日仏都市会議が行われ、近代建築の保護と新しいまちづくりの仕組みについて、日仏の関係者が徹底的に議論する予定である。既に我国も成長神話の時代から、持続可能性を前面
に押しだしたゆとりある低成長の時代に入っている。限られた資源を活用し、環境にやさしく、それでいて知識集約の社会を維持する。こうした社会の目標が設定された時、都市や建築はその器として新たな装いを施されるだけでなく、それ自体が人々の生活や活動をリードし包みかける役割を果
たさなければならない。日仏学院の例をきっかけとして、さらなる議論が起き、来るべき社会にたいするコンセンサスが生み出されていくことを期待したい。
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