フランス歴史的記念建造物の多様化の歩み
La diversification
des monuments historiques prot使市 en France
北河大次郎 Daijiro KITAGAWA
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リストからキャンペーンへ、単独事業から連携事業へ
保護対象として取り上げられる歴史的記念建造物は、当然、保護に値するだけの価値を有していなければならない。その際、時代を代表するような傑作に対しては、一般
に既存の研究・調査は豊富で、それらの価値認識を共有することは容易である。しかし、人々に身近で、著名な建築家が設計したわけではない建造物については、価値付けは困難になる。どこにどれだけのものが残っているのか、どのように一つの物件を他のものと差別
化すればよいのか。このような場合、日本でも行われるように、まず残存する関連建造物を悉皆調査し、それらの類型化、さらに重要物件の特定という作業が必要となる。フランスでは、調査と目録作成作業を専門に行う部門Inventaire
g始屍al des monuments et des richesses artistiques de la Franceが、アンドレ・マルロー時代、文化省内に設けられている。
そしてフランスは、この種の建造物保護を実践する時代を迎える。1970年代後半に作成された街中の歴史的商店に関するInventaireをもとに、1974年から1982年の間、展覧会、パンフレットの作成などの様々なキャンペーンを通
して日常的すぎてその文化的価値に気づきにくいこれらの建造物の重要性を大衆に訴える活動が行われる。1981年、ジャック・ラングJack
Langが文化大臣に就任すると、これまで文化省が単独で行ってきた調査事業が、関連する他省庁との連携で行われるようになる。歴史的小売店の調査に関しては、都市計画省で調査された約700件の内、130件が1983年に歴史的記念建造物として保護されることとなる。
文化省が単独で作成した建造物のリストをもとに建造物保護を行うという手法から、他省庁と連携して悉皆調査を行いテーマ別
のキャンペーンを通して保護を進めるという手法への変化。こうして、劇場、映画館、レストラン、カフェ、パン屋、肉屋、惣菜屋といった、新たなタイプの歴史的記念建造物が生まれ、保護対象の多様化がさらに進められていく(写
真3)。それと同時に、パリに所在する20世紀の建造物の保護も増加することとなる(表4)。
この手法は街中の建築物に限定されるものではなかった。例えば、1965年にエッフェル社関連の施設が登録されて以降、1970年代に細々と行われていた歴史的な鉄道施設の保護が、文化省、運輸省、フランス国鉄S.N.C.F.、パリ交通
公団R.A.T.P.の連携で、この時期新たに進められている。1983年に"S.N.C.F.―Culture"というワーキンググループが設置され、国鉄関連の古文書の調査も含めて、駅、工場、橋梁などの歴史的鉄道施設の調査が行われる。また、これに並行してポンピドゥセンターで駅の歴史に関する展覧会が開かれるなど、一般
の人々の意識を高める試みがなされるのである。1984年には文化省の遺産局長から地方局に対して、域内の鉄道関連重要遺構の調査に関する通
達が出され、最終的に、これらの調査結果をもとに1985年、23棟の建物と15基の土木構造物を歴史的記念建造物として保護する協定が、国とフランス国鉄の間に結ばれるのである(写
真4)。
この他、19世紀に多く作られた温泉や海水浴場などの保養施設のいくつかが、厚生省、設備省、観光省などとの調査、協議を経て、歴史的記念建造物として保護されている。また、文化省は従来の建築の枠組みに収まりきらない産業・土木関係の遺産を、省組織の枠組みで調査研究するために、1982年に産業遺産調査のセクションを設け、建設史のみでなく経済史、社会史を含んだ調査研究と、産業・土木構造物保護の基礎資料としての目録作りを進めていくのである。
地方分権の時代
1984年、フランスの歴史的記念建造物の保護行政は新たな転機を迎える。歴史的記念建造物追加目録への登録(当時登録建造物は指定建造物の倍以上あった)手続きの、地方r使ionへの権限委譲である。こうして、以前国の規模で行われたキャンペーンが、各地方で個別
に選ばれたテーマごとに展開する。そして、1年あたりの登録の数は倍増し、同時に近代の建造物の保護も急速に進展していくのである(写
真5)。また、前述の産業遺産の目録作りも各地方で進められ、産業遺産に豊かな地域は、その保護措置を積極的に進めていく(写
真6)。
この地方分権の時代を迎えて、国の文化行政はどう変化したか。決して停滞するわけではない。国土規模のテーマ別
キャンペーンは相変わらず続けられ、それは今や地方との密接な連携のもとに、より質の高い結果
を生み出しつつあるのである。
新たな段階に向けて
考古学的価値を有する歴史的記念建造物保護の時代から、近代の著名な建造物、そして身近で多様な建造物の保護へ。建築物から、産業施設、土木施設の保護へ。特に20世紀中期以降、各時代の文化担当大臣が打ち出す新たな方針や政策にもとづいて、フランスの歴史的記念建造物の保護対象は次第に多様化していった。そして今、国と地方が両輪となってこの多様化路線を推し進めている。彼らの試みはすべて成功しているわけではないが、歴史的記念建造物の充実に向けて着実に前進しているように思われる。
一方、この多様化に伴いこれまでなかった問題が浮上しつつあることも指摘しておかなければならない。古い歴史的構造物と異なり所有者形態が多様な近代建造物の保護の手法の検討。利用者の安全を最優先し、時代の求める機能への対応が望まれる歴史的産業・土木構造物の社会基盤施設としての維持と、歴史的記念建造物としての保存手法の違いの克服。躯体構造の多様化(石造構造物からコンクリート造、鉄筋またはプレストレストコンクリート造構造物)に伴う、新たな修理手法の確立。巨大化する保護対象(産業遺産や土木遺産)に必要となる多額の管理・修理費用の確保、など。
近代建造物という、その建設技術において地域性が希薄な歴史的構造物が保護の対象となる段階に入り、これらの問題は日本をはじめとする多くの国々が共有するところであろう。そして、今後その解決のためにますます多国間での活発な情報交換や議論が必要となることと思われる。この新たな局面
で、歴史的記念建造物の保護を強力に推進し、すでに試行錯誤を繰り返しているフランスが、重要な役割を果
たすことは十分に考えられる。時代に対応した、この分野における日仏間の技術的交流の必要性を改めて感じる次第である。
参考文献
CHOAY, F.,
L'all使orie du patrimoine, Le Seuil, 1992, 273p.
Minist俊e de la Culture et de la Communication, Atlas des activit市
culturelles, La documentation fran溝ise, 1998, 95p.
Minist俊e de la Culture et de la Communication, Chiffres cl市
1997 : statistiques de la Culture, La documentation fran溝ise,
1998, 165p.
TOULIER, B., (仕.), Mille monuments du XXe si縦le en France,
Editions du patrimoine, 1997, 416p
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