都市に都市を造る ―ブーローニュ・ビヤンクールにおけるルノーの跡地の経験―
Faire la ville sur
la ville ―l'experience
des terrains Renault Boulogne-Billancourt―
鳥海 基樹 Motoki TORIUMI 東京都立大学専任講師
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安藤忠雄案
では、安藤忠雄案は如何なるものだったのか。
実は今の所プレスに公開されているのは模型写真のみで、後は本人の説明に拠るしかない。とはいえ、そのわずかな手懸かりが既に雄弁である。そこに水面
に浮遊する静謐な建築と、郷愁を越えた場所の精神の保全を見ることは困難ではないはずだ。
島の形状に従いながら、安藤は水面に宙吊りになり、光を内包したガラスの船を発明したのである。32000m2にのぼる床面
積と300mの全長を持つこの建築は、基壇、水上庭園、そして「ギャラリーの小宇宙(microcosme
des galeries)」という水平な3つの層によって構成されている。
基壇はアクセスとサーヴィスの導線を処理し、さらに市が創設を条件付けたセーヌ川の河岸沿いの散歩道に連絡しているが、この散歩道は2面
のガラス壁に縁取られセーヌ川へと下ってゆくモニュメンタルな階段で終結する。
水上庭園は中間領域で、いくつかのパティオ(patio:中庭)の内部に隠された複数の庭園群から構成されており、同時に企画展示場にもなり得る空間である。
ギャラリーの小宇宙は基壇からは切り離され、一方がセーヌ川の曲線に沿ったヴォリュームの内部に収容されており、常設展示場となる空間である。
また周囲のガラス壁は意図的に傾斜が附けられており、それは時として透明で建築の内部の様相を透過させ、時として鏡面
となりセーヌのさざ波を映し出す。この建築は何よりもまずセーヌ川沿いの散歩道として計画されているのである。
ブーローニュ・ビヤンクールの今後
ブーローニュ・ビヤンクール市は今後、2000年に制定された連帯及び都市再生法(Loi
SRU)で義務付けられた地域都市計画プラン(PLU)を2003年迄に策定しなければならない。また、科学・芸術センター計画準備委員会は、セガン島に大学や国際交流センターと建設するプロジェクトを、そのためのパートナー探しや計画の売り込みをしながら詳細化してゆくこととなる。そして何よりルノーの工場の取り壊し、さらにその跡地の有害物質の除去作業が2003年から開始される予定である。
その上で、全ルノー跡地の再整備計画の第一弾としてピノー財団の建設とセガン島への人道橋の整備、そしてそれらの橋の間の河岸の散歩道への整備が行われる。さらに未確定なものの、セーヴル橋のインターチェンジの整備、そしてその周囲の犯罪発生率が高くや社会的差別
が見られるいわゆる「過敏(sensible)」な界隈との結合のための整備が考えられている。
いずれにせよ、プロジェクトは動き出氏の美術館建設と連絡橋の整備くらいであり、他の企画はこれから時間をかけ議論を深めながら決定されてゆくこととなる。全工程が終了するのは2015年とも2020年とも考えられる。ともかく息の長いプロセスなのだ。
おわりに
さて、この講演は或る有名な工業地帯の長い歴史のいくつかの重要な出来事を辿ったものだが、ここから引き出すことが可能な教訓は多様で複雑なはずだ。そこで敢えて一点だけ述べるとすれば、それは強い政治的な意思ややる気のある協力者、聡明な専門家や芸術家を持ってしても、都市というものは長い年月をかけなければ形成され得ない、ということである。つまり、「都市の上に都市を造る」という視点が引き出し得るのである。
筆者あとがき
私事にわたり恐縮だが、筆者はこの一連の騒動にAPURで研修員をしている時に接した。1997年のコンペのコーディネーターが元APURの主任建築家のグレテール、勝者がパリ市の御用建築家といわれるフォルティエ、そこに割って入ったのがAPURとは犬猿の仲でそのためなかなかパリ市で公共建築の仕事にありつけないヌーヴェル、という田舎芝居のような図式に感心する一方、やはりメディアを巻き込み国家的な論争に火がつけられ議論が深化してゆく過程に或る種の羨望を覚えたものだ。ウンベール女史の言われる「都市の上に都市を造る」と言う視点、我が国の同様な跡地開発で殆ど省察されないものではないだろうか。
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